次にこの狭い暗闇に光が差したのは、生暖かく、薄く獣臭の漂う部屋だった。
光りの方を見上げると、箱の上部からルミが顔を覗かせ、
「ここが君の新しい部屋だよ」
と、はしゃいだ、しかし優しい声色で小生に言った。
 ルミは少々ぎこちない手つきで小生を抱き上げ、そのまま自分の懐に小生を引き寄せた。
  柔く、暖かいその胸の感触は、小生の不安を幼い好奇心に摺り替えるのに充分な安心感を与えた。
 おかげで少し落ち着きを取り戻し、部屋の様子を窺う余裕が芽生えたので、小生はルミの胸の中から首だけを回して部屋の様子をつぶさに観察した。

 
  部屋の広さは大体六帖程であろうか、その部屋には不釣り合いと思われる大きさのテレビが、部屋の角に台もなく直に置かれており、その横にはいかにも造りの悪そうな合板のパソコンデスク、机、ミニコンポの乗ったサイドボードが順に配置されていた。
  その対面にあたる壁では、カラーボードを積み上げただけの本棚に、溢れんばかりの本が詰め込まれていた。大半を占めるのが画集などの大型本であった。しかし趣味に統一感がないように思われた。
 その部屋の中で一際目を引いたのが、絵を描く際にカンバスをたてるためのイーゼルだった。使い込まれ、いたる所に絵の具の飛び散ったそのイーゼルは、窓際の真ん中に、まるで部屋の主人のような趣を持ち、直立不動でそそり立っていた。
 それらの家具と呼ぶには余りにもお粗末な物達は、部屋の中で完全に統一感を欠き、それぞれが勝手にテリトリーを主張しあい、その様は部屋と言うより、物置きのそれであり、雑多な五月蝿さが、味気ない蛍光灯の光りと共に部屋全体を満たしていた。
 
 五月蝿いと言えば、部屋の薄いレースのカーテン越しには、引っ切りなしの車の往来がみえた。しかも道路の上には高速道路まで走っているでは無いか。五月蝿いはずである。小生はそこで少し不安を感じた。自分はまだこれからの犬生を生き抜くにあたって、最も重要な時であり、これから自己を探究し、アイデンティティーを確立して行かなくてはならないのだ。しかも我々犬族は、人間の様にアイデンティティーを確立するまでの時間的余裕を与えられていないのだ。それは太古の昔より、DNAに書き込まれているのだからいたしかたないのではあるが。しかし、あがらえないからこそ、その重要な時期を、こんな騒音だらけの部屋で過ごす事に対する不安はやはりある。
 しかも自分で言うのもなんだが、小生達の様に、流通ルートがペットショップの場合、母親や兄弟から引き離される時期が早い為に、充分な社会性を身につけるのが、困難な場合が多々あるのだ。やはり自己といえども、その大半を占めるのが、相対的に観た場合の自己であり、相対的に自己を確立すると言う事は、やはりその環境にかかってくるのである。つまり我々ペットとして飼われる犬族の、この日本と言う国においての一番メジャーな流通 のあり方、それ自体が、犬個々のアイデンティティークライシスを内包しているわけだ。
 
  このことは人間にも言える気がする、最近おじじやルミのような、性格破綻者が世の中に蔓延しているのも、家族も含めた広義での
環境がやはり悪いのであろう。そもそもこの国の代表たる代議士からして…はっ!!!何を小生は偉そうに語っているのだ、小生は何様のつもりなのだ。まだ生まれて一年もたって無いのに。あーやってしまった。これこそ自尊心の描かせる文章ではあるまいか。しかもなんでこんな話を書いているのかが、さっぱり思い出せない。さっぱりである。おじじに続き小生も完全な性格破綻者であったか!!肉球が震えてしまう。
  しかし最近は我々を囲む環境も少しづつ変化してきているようで、信頼できるブリーダーから子犬を買う人もかなり増えているらしい。それがまず定着することが、この国の動物福祉の急務であろう。売り手は売れれば良いのだ。それが日本型の資本主義であるから。売り手が、生命というものについて考えないのであれば、買い手(飼い手)の方が生命を考えるしかないではないか。今日も沢山の我々の仲間が人間の犠牲で殺されてゆく。動物を飼う事自体が人間の身勝手なのだから、せめて我々を幸せにしてほしいものだ。

 そうそう五月蝿い道路の話だった。先程乗り物を降りてからこの部屋までの時間を考えると、今見えているこの道路で車を降りた事が容易に窺える。道幅、車の量 を見ると、この道は渋谷と繋がる幹線道路であり、この道を一本で来たのではないかと推測された。
  そんな事を考えていると、ルミが突然小生を床に置いた。床の素材は畳みである。この畳みという代物は、この上なく素敵な感触であった。適度な弾力と優しい素材感、畳の感触を肉球に愉しみながら、小生は部屋の匂いを嗅いで回った。
  少し埃っぽく、先程部屋に入って来た時のあの微かな獣臭が、はっきりと嗅ぎとれた。部屋にはこの二人しかいない所を見ると、おじじの匂いと思われたが、実際の彼からはタバコの匂いの方が強く感じられるようだった。
  小生はくるりと向きをかえ、ルミに向き合うかたちをとった。すると、さっき抱かれている時はルミの影に隠れて見えなかったが、鉄格子のついた、動物を入れる檻の様な物があるのが見えた。
  しばしの考察の後、小生は、はたと思い当たり、肉球で自分の膝をうった。
(ふふ〜ん。ここがおじじの部屋だな。)
 ルミは見かけ程間抜けでは無いらしく。きちんとおじじの部屋を囲ってあったのだ。
(そういえばこんな怪しい生物を放し飼いにするのは危険だものな。)
 小生、元来感はいい方である。
 となると、おじじはルミに飼われている事になり、立場は小生と同じと言う事が言える。
 ルミの独自の危機管理に感心していると、頭上でおじじの声が聞こえた。
「もうそろそろ中に入って休まないと。今日きたばかりなんだから。」
ルミに話し掛けている。
  何故小生が来たばかりだと、おじじが休まなくては成らないのか?しかし、 その刹那、おじじは小生の体を軽々と持ち上げると、ポンッと檻の中に入れて扉を閉めてしまった 。
  あまりの予想外の出来事に、小生の頭の中は真っ白になり、しばしの間呆然となった。
 そして、あまりに残酷な事実に気付く。
  そう、この檻は小生の部屋の中の、おじじの部屋ではなく。おじじの部屋の、小生の部屋だったのだ。おじじはルミではなく小生に話し掛けていたのだ。初めての部屋で少々興奮して、冷静さを欠いてしまっていたようだ。
  小生、元来おっちょこちょいな方である。
 しかしここで食い下がるわけにはいかない。こんな檻の中で、おじじより下の立場で飼われる訳にはいかないのだ。断じていかないのだ。小生腹を決め必死で抗議の声を上げた。なぜなら転校生は初日が肝心だということは定説であるからだ。
 しかしそんな決死の覚悟も、小生の口から声が出た瞬間に自己嫌悪 に変わった。
『ガルゥウウ!ガルゥウウ!バウバウ!!』
  と、声を上げたつもりが、実際は
『にゃん!!にゃん!!」
 と、またもや情けない声になってしまっていた。
 しかしその声もおじじとルミには十分効いたとみえ、すぐに部屋を出て援軍を連れて再び現れた。  援軍が到着するや否や、人間の何百倍もの嗅覚を持つ小生の鼻が、視覚より先に、その生物を捕らえた。イタチだ。
  しかもアメリカの香りが強い、そう自由とバイオレンスとマールボロの香りが。(なんてちょっとかっこよすぎるかな)
  見ると、やはり西洋イタチであった。フェレットと言うらしいことを、後からルミにきいた。
  「スメルと半蔵だよ〜。」
  ルミは一国堂のような腹話術を使い、無理矢理イタチに挨拶をさせた 。
 ケッ なさけねぇ奴らだ。小生、多少の緊張感はあるものの、ヤンキー転校生よろしくカツカツに決め込んでいたので、自己紹介なんてくそ食らえとばかりの態度でイタチにしかとをきめた。
  あの時の小生のキバリの半分でも、おじじが気付いてくれてさえいれば、福助なんて間抜けな名前ではなく、あのロックスターの名前を付けてもらえた事だろう。
 そう小野寺矢沢永吉と。
  おじじは元来感が鈍い方なのであろう。
(ちょっとキザな言い方かもしんないけど、矢沢はら減ったんで、ルミ、飯。4649。)
 なんてかっこいいではないか。しゃべれないけど。
 しかしそのロック魂もルミがイタチを離した事で一気に萎んでしまった。なぜなら、ケンカはステゴロと江戸の昔から決まっているにもかかわらず、奴らは愛らしい口元から、鋭い牙をちらつかせ、小生に近付いてきたのだから。しかも2匹で。

 俺アノ時ばっかりはマジでヤベーってかたまったよね。まじで。
である。
 奴らイタチ軍団は、新品の マイルーム(檻)の格子をいとも簡単にくぐり抜けた。そして必死に小生の匂いをかぎ取ろうとした。
 そんなイタチ軍団をみてルミはそこで始めて焦ってマイルーム(檻)から奴らを連れ出した。
 最初から、そんな危険なことは、謹んでいただきたいものである。
これでは先が思いやられる、とため息をつきつつも、小生は急激な睡魔に襲わた。 環境が変わった事による疲れが出たのだろう。
 思考停止に陥り、檻の隅に丸くなり、そのまま眠ってしまった。久しぶりに深い眠りであった。

つづく

 

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